2011年9月23日金曜日

ギャルから学ぶ地球生物としてのコミュ力

この日の原宿の続き
明治通りで18からハタチそこそこの女子の集団が前方を歩いてたんですけど、さらに前方から別のグループが来たんです。お知り合いのようで、




A子「あーっ!B美ぃ~!」

B美「おーっ!Aちゃーん!」

A子「ウケルー!」

B美「ウケルー!w」

A子「ウケルー!ww」

B美「wwwウケルー!ww」

A子「wwwウケルー!ww」

B美「wwwじゃーねーw」

A子「うーんwじゃーねーw」



というやり取り(?)を交わしていました。
すごいです。全体の一部に過ぎないかもしれませんが、いまや若い女性のコミュニケーションはバンドウイルカの知性クジラの“ソング”に近しいコミュニケーション形態を体得しつつあるようです。




たびたび彼女ら(あなたのご想像どおりの『彼女ら』で構いません)によって「美しい日本語が瓦解し始めてる」といった様なことが叫ばれる昨今ですが、自分は違うと思います。彼女らはランゲージを越えた地平でのコミュニケーションを心棒しており、地球により近かった時代のコミュニケーションへの帰還を目指しているのだと思います。無意識下で。




私たち現代人は言葉を用いてコミュニケーションを図るようになりました。
個人的には、それは退化の結果だと思っています。何故なら、カンタンに言っちゃえば、言葉は言葉以上のことを伝えられないからです。




よく「言いたいことの半分も伝えられなかった」と、具体(言葉)と抽象(感情)の狭間でアタマがパンクしてしまった経験が誰でもありますよね。人間以外の生物が鳴らす「音」には、そういったラグが発生しないのではないかと思います。人間が言葉で伝えられない情報が籠められていて、その中には人間が言葉に変換すらできないような概念もあるかもしれません。天敵がいない生物もいますからね。襲う必要にも襲われる必要にも迫られない生物と、同じ種族で殺しあうことのある人間では、まるで生き方(生誕~滅亡に至るまでの考え方)が違うはずです。「個」を尊ぶ人間と、種全体のDNAに忠実に繁栄する(人間も基本はそうでしょうが、強度の問題で異なる)生物の違いもあるでしょう。




自分のわかりにくい話はともかく、原宿で見た女子グループ、端的に言うとギャル系のグループは、過去備えていたであろう地球生物としての元来のコミュニケーションを意識させるのに、非常に有意義な体験であったと認識するばかりでした。




主張のまとめは、今話されている言葉だけで、地球のすべてをカバーしきれるはずが無い、ってことです。
文法が崩れるのは、人間が新たな生き方を探る上での可能性の一つとして受け取ったほうが良いと感じています。

0 件のコメント:

コメントを投稿