ここに書くネタが無くなるとかいう事でもなく、むしろ短尺・長尺の文章の整理が出来て、書きたいことも明確になって良いには良いんです。気にかかってるのは、ツイッターで逐一思ったこと、見たことを投稿することにより、事象や現象を咀嚼する時間が減ってきていること。
ブログだけやってた頃は、それぞれの体験の余韻を味わって、噛み砕いて、つまり見聞きしたまんまにはしてなかったんです。今もそうですが。対して、ツイッターで小出しにしたものは殆どが脊髄反射的な投稿です。体験を頭で咀嚼することなく、ダイレクトにウェブの海へ解き放たれます。
リアルタイムの臨場感がツイッターの魅力の一つなので、それはそれでOK。
ブログでやるよりも伝播するスピードが早いし速いですから。
ただ、あまりにつぶやきが過ぎると、モノを考える力が衰退していくような気にもなります。
これまでツイッターはブログの延長線上にあるツールと認識していたのですが、実際使ってみるとかなり異質。あくまで初心者であるワタシの使い方に依拠しますが、ここ数日でツイッターが一種のメモ帳的機能を果たしていることに気づきました。
様々なメディアでお馴染みのクリエイティブディレクター・箭内道彦さんが、ご自身の著書で興味深い提言をなさっています。
アイデアは変化していくものです。最新のニュースを聞いたり、会話したり、本を読んだりすることでいろんな化学変化が起きて形を変えていく。それは紙に記録しながらできることではなく、頭の中で曖昧なままにしておかないとできないことなんです。A→B→Cと次々変化していくはずのものが、Aの時点で書き留めてしまったら、それは、Cになる可能性など微塵も感じさせない完成したAというアイデアになってしまうわけです。ですから、メモ帳を持ち歩いて、何か思いつくたびに書き込んだり、慌ててテープレコーダーに吹き込んだりする人がいますが、思いついたアイデアを忘れないことの代償として、変化の可能性をその時点で失ってしまっているのです。
(箭内道彦著『サラリーマン合気道』第二版,幻冬舎,2008年,20項)
著書の冒頭にある「アイデアは書き留めない」の一節ですが、ワタシは立ち読みしたときに当該部分に大変共感、というか自分で思ってたモヤモヤを字で起こしてくれた人に出会えたため、速攻でレジへ持っていきました。普段このテの書籍は読まないのですが、非常に面白い一冊です。文庫も出てるようなので興味のある方はどうぞ。
話を戻して。
今回言いたかったのはまさに箭内さんがおっしゃっていることと寸分たがわぬ(虎の威を借る狐の気分です笑)内容で、ツイッターを始めたのも本来はブログの書留をできるだけ減らすor止めることが目的でしたし、かといってツイートしすぎるのも単に場所を変えてやってるにすぎないことになります。さらには手軽なもんだからどんどんつぶやいちゃって、結果として頭の中身をツイッターに転嫁しちゃうことになりますよね。ツイッターに投稿された時点で、そのツイートが他に広まることで情報の地点、外部の環境を変えることは可能ですが、文字情報自体が絶えず変革し続けることはありません。時系列や受領者によって価値が変わる、ということはできても、頭の中で攪拌されていた場合に予感される革新の可能性は途絶えてしまいます。
ワタシは個々の内面で起こる変化を、生活において非常に重要視する人間です。
世の中では「優柔不断」や「天邪鬼」と置き換えられるタイプの人種です。個人的には、それらは決してネガティブな側面ばかりがクローズアップされるべきではないと感じています。
加えて、「初志貫徹」という言葉は苦手です。
確固たる目標設計とブレない意思、それらは社会生活において大切なことです。それには違いないと思います。ただ、人生観は外部の環境に影響されて、必ず変わり続けるものだと思います。故に「初志貫徹」には、時を経て絶えず変化していく己の内面と向き合わず、自分の立てた誓いの旅篭を折らないことに意地になっているようなイメージがあって、どうにも苦手です。なんにしても第2・3者から頂ける後付にしか聞こえません。
まぁブレブレまくって人生台無しにしてる自分よっか、多少頑固な人の方が信頼されるし成功するでしょうね。間違いなく。ワタシは「ブレ」をもう少しポジティブに持っていきたいんです。リベラル精神というか、変化に対して鷹揚でありたいんです。
色々とっ散らかりました。
まとめとしては、ツイートはほどほどにしといた方が自分の志す境地に精進できる、といったところでしょうか。言うても、ワタシなんかは多い人に比べると少ないと思いますが。
やっぱガッツリ書くのも楽しいですね。
色々思ってることがたくさんあるんだなぁと、人ごとになっちゃってますが、文全体の散らかり具合を見て再確認しました。部屋と一緒かな。
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