スチャダラパー - ヒマの過ごし方
結論だけ先に言わせてもらいますと、行動のすべては合理的であることに越したことはないです。
村上龍氏も似たようなことを著書で記述されていた気がします。
言いたいのは、ヒマであること=ムダ、と規定してしまうのは決して人生を豊かにはしないということ。何もしてない時間、というのは自他共にヒマと認める人でもそうそうは過ごせません。つまり、ヒマ(と思われる)な時間でも、人は何かをしてたり考えてたりするから。ただ、私達は社会生活の範疇に、やること考えることに「生産性」を付与される宿命にあります。値踏みと言ってもいいです。いかに社会に対して何を与えられるか、それだけで行動もしくは待機の価値が設定されがちです。
ワタシ自身、曲でラップされていたように「たしかにその人にしてみればヒマに違いなかった」時間を多く過ごしてきました。「そんなヒマあったら」と言われても仕方がないような。
ぶっちゃけた話、ヒマが怖いのは生活がかかっているからで、そこは否定できません。
忙しさが楽しいことも体験として織り込み済みで、ありがたいことに現在は疲労を充実と捉えてます。
合理化された行動は直線的です。
わき目をふらず、寄り道をせず、姿はひたすらにひたむきで美しい。
ワタシはそこにこそ危険な香りを嗅いでるので、行動の合理化のみが評価されることは良しとしません。特に新しい価値観を形成するには、ヒマというか手間を余計にかけることは重要だと感じています。
例えば電車に乗れば目的地に早く着くところを、自転車や徒歩で時間をかけてたどり着く、そんな行為。健康のためとか、結局後付で動機を作り、行為の正当性を誇示してる人はともかくとして、時間を対価に得るものはすごくあると思いますよ。「新たな気づき」みたいに、ビジネスマンライクな考え方でなくとも、細々と発見はあります。それがどう人生に活きるかは個々人に依りますが。
不毛な期間は、時間がなきゃ獲得できない宝です。
スケジュールを詰め込んでる人には到底達成できない。ヒマを恐れるあまりに、ワタシたちが逃した大切な時間。スケジュール通りに動いていては、その価値すら見いだせない。
スチャダラパーがこの曲発表したのがまだインターネットが普及してない時期ですから、もはや人々の観念そのものの乖離さえ認められますが、彼らがいかにアバンギャルドであったかが伺えます。便利すぎて身震いするような現代。もちろん便利はサイコーですけど、便利にかまける=手間と時間をないがしろにしてる、そんな気分です。
0 件のコメント:
コメントを投稿