戻りたいと言われれば、まぁ一週間程度なら戻ってみたいかな、そんな高校の日々を回想してたんですよ。朝早くに。
(誤解の無いよう言っておくと、もちろん高校時代がいつまでも続くなら素晴らしいかもしれんけど、3年と限りがあるから高校生活は尊く瑞々しいものである筈で、それは一度全過程をクリアしてしまった人間には二度と手にできない輝きを放っていたと想う。な訳で、今となっては思い出を肴に呑むのが丁度いいのかなと。うん、このテの議論には答えも実りもない。でも久保ミツロウ先生の『アゲイン!!』は好き笑)
当時のMD聴いてたのがきっかけなんですが、あの頃はまだiPod等MP3プレーヤーの普及し始めだったとか、検索はまだYahoo!でやってたとか、ほんの数年前のことが随分昔のことのように感じちゃったり。
あの頃と比べて最も変わったのは、やはりケータイじゃないでしょうか。でしょうか、って言われても読まれてる方においては具体的に何時のことか判らないという。
ドコモ契約のワタシ。使い始めの頃はmova(ムーバ)でした。なんて懐かしい響き!ちょうどFOMA(フォーマ。これも懐かしい)と入れ替わりの時期にケータイ使い始めたんですよ。単純に機種代が安かったんでmovaにしました。パケホー?そんなもの大学2年までやんなかったね。つい最近ですね。
何にせよ、今と比べりゃ対した機能もない機種を使ってたわけですが、相応の良さがいわゆるガラケーにはある(あった)気がします。そのうちのひとつに『SOS505is』。ジョグダイヤルやスライド式の開閉の手応えの良さ、触る楽しさがあったのは確かです。あの機種は着せ替えケータイ、なんつって煽って、ワタシはまんまとその煽りに乗ったクチですが、今のスマホのカバーと違って機種専用の、徹底してオリジンなモノだったから、デザインの美しさは凄まじかったんです。
時代はコストとか普及率の問題で機種専用の某を生産することに臆病になってしまっている為、かといってそれはリスクマネジメントの観点から正しい選択だとは思うのですが、どうにも、こう、無駄を徹底的に排除した結果が現在のスマホのカタチと考えると、非常に萎えます。
ワタシが現在辟易していることの一つについて、「持ち物の画一化」というのが挙げられます。画一化は怖い。着てる服が「機能」だけに焦点が当てられ、100年後には新素材を使い市場を独占した企業が販売するテカテカでピッタピタな衣服を着用するようになる人類、とか、実際ありえそうな話。スマホの普及率100%は、その始まりになると思います。どうかデニム素材が排除されませんように。
個性が無駄として排除されるなら、それは看過できない事態。
生活様式によるけど、極端な便利さは時に害悪である、ということは認識してもらいたい。古い新しいの問題ではないとこまで来ている。人はもっと無駄を受け入れなきゃいけない。
できるならガラケーで機種変したいな。
それを許さない時勢であることは腹立たしい。
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